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新人での東北勤務の4年間は、私を加速度的に成長させてくれた。

神奈川県出身、コンシューマ営業職を務める髙地 美希は、新人研修後の4年間は、宮城県仙台市にある東北支社で過ごしました。
配属前は多くの不安を抱えていましたが、今では「最初の配属が東北支社で本当に良かった。仕事の面でもプライベートの面でも」と語るほど、配属前に抱えていた不安は払しょくされました。
東京に帰任して半年が経った今、地方勤務だからこそ得られた経験やスキルを生かし、現在も活躍しています。
 

仙台での4年間は、自分にとってかけがえのない時間になった

髙地は、神奈川県出身で東京の大学に通い、社会科学部に所属。アカペラサークルで舞台監督として公演を取り仕切っていました。

そして、「通信やIoTの技術を通じて、世の中に何かを伝えたい」とソフトバンクに入社し、コンシューマ営業職に配属。東京都内での1年間の店舗研修を経て、そのまま宮城県仙台市の東北支社へと配属になりました。

東北支社への配属が決まった当初は、友人、家族といった人間関係から距離ができてしまうことに、多くの不安を感じていました。


髙地「東北地方には一度も行ったことがなく、なんで私が!?とビックリしました。高校や大学時代の友人は首都圏に住んでいたので、みんなと別れるのも悲しかったですね。
社会人になっても、アカペラのサークル活動は続けていました。そこからも離れるのは少し辛かったです」


しかし、配属後は、周りの人に恵まれ、仕事の環境に恵まれ、これまでの不安が払しょくされたと言います。
また、地方勤務をする中で、事業者としての立ち振る舞いや、考え方など、自分の成長につながりました。


髙地「仙台で過ごした4年間は、今ではかけがえのない時間だったと思っています。今は東京に戻ってきていますが、社会人のスタートの4年間を仙台で過ごせたからこそ、圧倒的なスピードで成長できたのは間違いありません。
東北地方だからこそ経験できる濃密な時間を過ごせました。
ソフトバンクでのキャリアを仙台からスタートできて本当に良かったと感じています」
 

代理店の社長がお客さま。新人でも大きな仕事を任される

彼女は仙台の東北支社に着任後、コンシューマ向けの代理店営業職としてキャリアをスタートしました。

配属後は、携帯電話ショップを展開する代理店を、2〜3社ほど担当。
店舗と本部に対して、販売支援や事業支援を行い、売上や利益を拡大させて会社自体の成長を後押しするのが、彼女のミッションです。

代理店営業の業務内容は、店舗での業務と代理店の本部向けの業務の大きく2つに分けられます。

店舗での業務は、集客のための広告を一緒につくったり、接客のアドバイスなどを行うことが仕事です。

一方で、代理店の本部向けの業務では、会社全体としての経営を支援します。エリア全体の販売促進を行うために、イベントを企画して折り込み広告を出稿したり、各店舗で働くスタッフの採用業務に関与したりすることもあります。

営業一人ひとりのミッションが大きく、若手でも仕事の裁量が多い、これが大きなやりがいにつながります。
 

髙地「仙台での仕事のやりがいは、若手でも大きな仕事を任されること。
営業の人数が少なく、担当する代理店も中堅企業が多いので、その経営者と直接やりとりができる。
ですから、営業としての裁量も大きいですし、代理店の事業成長に直結する打ち手を提案して、一緒に実行することができます。

私自身は、その代理店の経営の一部を担う気概を持って、配属初年度から仕事をしていました」
 

新店舗のコンセプトをゼロから手掛けることも

店舗の経営サポートだけではなく、新店舗のオープンにも携わることができます。

では、具体的にはどのようなプロジェクトを手掛けていたのでしょうか?
店舗のオープンに関わる面白さを笑顔で語ってくれました。


髙地「新しい店舗をゼロからお客さまと一緒に手掛けることもあり、本当にワクワクしていましたね。

プロジェクトが始まるのは店舗オープンの2年前くらいから。現地調査を経て、出店する土地を確保することから携わります。
そして、店舗のコンセプトを考えて、売り場とバックヤードのレイアウトを決めていく。

立地条件によって来店者の属性が異なるので、
『IoTのショールームを置きましょう』
『モールの中の店舗だから外から見える場所にカウンターを配置しましょう』
というように、それぞれのお店にポジティブな願望を詰め込んでいきました」


ただし、店舗はオープンがゴールではありません。開店した後の方がずっと長い。
その期間も含めて、髙地はどのような思いで店舗を支援していたのでしょうか。
そこにも、彼女ならではの考え方が浮かび上がってきました。


髙地「少なくとも10〜15年くらいはいろいろなお客さまが携帯電話を買ってくれる場所になりますし、いろいろな人が働いてくれる場所にもなる。
ひとつの店舗は、その地域のソフトバンクユーザーと従業員の生活を支える拠点なのです。

首都圏のように店舗が多くないので、ひとつの店舗がその地域で担う役割も大きい。そのような責任感を持って一つひとつの仕事に向き合っていますね。
オープン後のセールもそうですし、日々の接客の改善もそうですし。
時間の許す限り、現場の店舗に足を運んでいます」

メンターの先輩からは、「ソフトバンクの代表者」としてのスタンスを学んだ

首都圏と比べると、ひとつの店舗が果たすべき責任は大きくなります。
そして、担当している代理店は10店舗前後を運営しているので、彼女が遂行するべき責任は軽くはありません。

なぜ、若くしてそこまでの仕事を遂行できていたのでしょうか?


髙地「配属の当初からメンターとしてついてくれた先輩から、多くのことを吸収できたからです。
人数が少ないので、先輩との距離も近くて吸収できるスピードも速い。

その先輩は『ソフトバンクの携帯キャリアとしての誇り』を持っている方で、代理店との接し方はもちろん、ソフトバンクの“代表者”としての立ち振る舞いや、中長期での代理店との向き合い方などを学びましたね。

目の前の売上を意識するだけではダメで、その先にある代理店の事業拡大や地域での責任を果たすためには何をすればいいのか。
その先輩を見習って、私なりに考えて行動するようになりました」
 

入社3年目から部下を持った。この経験は今後のキャリアで大きな武器になる

対お客さまの業務だけでなく、対社内の仕事においても任せられる裁量が大きいのが特徴です。
髙地は入社3年目からリーダーを任されて、3〜6名のメンバーの指導に当たりました。

若くしてマネジメント業務を遂行する中で、どのような思いを持っていたのでしょうか?


髙地「当初は経験が無かったので苦労しました。
ただ、私自身もメンターの先輩から多くのことを学びましたし、個人ではなくチーム全体として東北のお客さまに貢献したいと思っていたので、頑張ることができました。
転勤で首都圏から東北に配属になったメンバーがほとんどで、フォローしてあげたいという気持ちもありましたね」


髙地「約2年にわたってリーダーを務めましたが、若いうちから人の上に立った経験は大きな財産になっています。

チームの意見をまとめるためにどうすればいいのか、メンバーのモチベーションを上げる言葉、下げる言葉は何か、リーダーに求められる立ち振る舞いは何か、など多くのことを学びました。

今後、自分が営業としてキャリアアップしていく際には、大きな武器になると思います」

会社メンバーのフォローで、寂しさは感じなかった。転勤者が多いので、悩みがあっても相談できる

仙台での生活には、プライベートな悩みも多くありました。
「縁もゆかりも無い土地だったので、赴任した当初は大変でしたが、会社のメンバーのサポートが大きかった」と髙地は言います。


髙地「仙台支社は家族的な雰囲気でメンバー同士の仲も良かったので、赴任当初からいろいろとフォローしてもらいました。
気軽にご飯を食べに連れて行ってもらったり、仕事が終わると一緒にお酒を飲みに行ったり。
転勤で来ている人が多いので、普段から悩みを共有しやすいのも助かりましたね。
寂しい思いをするかな、と不安だったのですが、全くの杞憂に終わりました」


髙地「私自身がリーダーを務めたときも、時間をとって一対一でのコミュニケーションを大切にしていました。

業務以外の時間も大切にしていて、夏は日本三大花火大会に数えられる大曲の花火大会を、チームのみんなで見に行っていました。
冬はスキーやスノーボードを楽しんでいました。

また仕事は仕事、プライベートはプライベートと関係値ができていたので結果的に業務も円滑だったように感じます。」


少人数の支社だからこそ、「ワンチーム」を大切にしていることも地方勤務の特徴です。
 

出会いに恵まれた4年間。仙台で培った人間関係は一生の財産に

髙地は、会社以外の交友関係も次第に広げていきました。
仙台では新しいコミュニティに所属して、むしろ人間関係は拡がったようです。


髙地「最初の1カ月半の店舗勤務で出会った先輩は、何度も仙台に遊びに来てくれ、今でも仲良くしています。

また、大学時代の友人に仙台勤務の知人を紹介してもらったり、現地で“行きつけのお店”ができて、そこでも友達ができたりなど、赴任して半年くらいで、交友関係は一気に拡がりましたね。

東京に帰任した後も、仙台の友人とは連絡を取り合っています。
今まで自分の人生のコミュニティを飛び向けた出会いがあり、交友関係はずっと広がったと思います。」


髙地「衣食住の環境はとても充実しており、最初に抱いていた不安や心配は取り越し苦労でした。
何より、仙台での4年間は、仕事でもプライベートでも多くの出会いに恵まれました。

うれしかったのは、東京に戻るタイミングで代理店から、お別れのメッセージ動画をいただいたこと。

30分ほどの長いものだったのですが、
『ウチの会社の転換点をつくってくれてありがとう』
『東京に伝わるように私たちも仙台で頑張ります!』
といった言葉をいただけて、胸がいっぱいになりました。

皆さん、本当にありがとう!ああ、ここで働けて良かった!としみじみ感じましたね」

仙台での経験があるからこそ、東京でできることがある

そして、2020年4月、髙地は東京本社に戻ってきました。職種は変わらずコンシューマ営業職を務めています。
仙台で培ったスキルや経験が大いに生きていると言います。


髙地「担当している代理店の規模が大きくなって、どちらかと言えば、代理店本部よりも店舗に対する支援が多くなっています。

仙台では本部の経営陣向けに中長期的な支援を行っていたのですが、店舗でもその経験が生きていますね。
店舗の現場に向き合いながらも、一つひとつの施策を代理店全体の成長にどう寄与させるのか、長いスパンでやるべきことは何か、などを考えて仕事ができています。

このような俯瞰的な視点をもって仕事ができることは、私の大きな武器だと思います」


今後は、現場の営業職の仕事にとどまらず、会社全体に対しても影響を与えていきたい、と彼女は言います。

具体的にどのような活動を考えているのでしょうか?


髙地「若くして首都圏以外での営業経験を持つ女性は、実は社内では貴重な存在。
ですから、同じような不安を抱えている人がいれば、支えになりたいです。

自分が仙台勤務で感じたことや身についたスキルなどを、社内の勉強会などで広く発信していきたいですね。
また、私個人ではなく組織としても、フォロー体制を強化したり、東京での研修を用意したりとできることはたくさんある。
そのような取り組みに関与していくことも、私のやりたいことの一つです。

首都圏以外での勤務は絶対に良い経験になると自分自身が体感したので、もっとチャレンジできる仕組みをつくりたいですね」
 
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